〇誘惑にがんじがらめにされてしまう
その雑居ビルは古いが、掃除やメンテナンスは
ゆきとどいているようで、汚くはなかった。
エレベータの中も清潔、整然とされている。
相手女性は9階を押し、
定員5人ほどの狭いエレベーターは
音をたてて上昇していく。
こんなところに店があるのだろうか、
不安が増幅していく。
今考えれば、ここで帰っておけばよかったのだが、
相手女性の豊かな胸のふくらみと、
ニットの襟元から見える谷間の誘惑が
私にそれをさせなかったのだ。



〇どう見ても飲食店ではなくラウンジ
エレベーターを降りて、せまい通路を歩く。
2人が横並びに歩くと幅いっぱいになってしまう。
相手女性が足を止めて「ここ」と立ち止まる。
鉄製のドアには店名らしいプレートが貼られている。
相手女性がドアを開けて中に入り、
おそるおそるその後に続く。
中はラウンジのようだが、照明は明るい。
客はおらず、カウンターの中にママと思われる
女性が1人いる。
カウンターは椅子が5脚、4人用のテーブルが3つ、
こじんまりした店だ。
「ここ、私の行きつけの店」
「いや、ここって、食事できないだろ」
「大丈夫、なんでも出してくれるから」
「けど、ちょっと、ここって」
とまどいを隠せずあたふたしているところに、
ママがお通しの小鉢をテーブルに並べた。


〇ビール2本で2万円

「ビールください、2本」
私には何も言わず、相手女性が勝手に注文する。
すぐさまママが小瓶のビール2本を出す。
「まずは乾杯しよう、乾杯」
相手女性がすばやくグラス2つにビールを注ぐ。
とりあえずとばかりにひと口飲む。
グラスを置くと同時に、大して減ってもいないのに
相手女性がすかさずビールを注ぐ。
「ねえ、何か食べよう、適当に注文するね」
危険を感じた私は相手女性に
「もう出るわ」と告げて、
さらにカウンターのママに
「出ます、会計して」と伝えた。
「2万円になります」と即座に返答があった。
「2万円?」と不審そうにつぶやく私に
「チャージ1人8000円、ビール1本2000円」と
ママが説明する。
しかたない、私は財布から2万円を出して払った。


〇「やられた」
こみあげる怒りを抑えて外に出ると、
後から出てきた相手女性が
「どうしたの? まだ何も食べてないのに」と
しらじらしくのたまう。
「そういうことか、これで店からいくらもらえるんや」
と相手女性に問いただすが、
「えっ、何のこと?」とかわされる。
あのまま食べるものを注文していたら、
会計はいったいいくらになっていただろう。
相手女性を攻めたい気持ちを抑え、
これ以上かかわらないほうがいいと考え、
相手女性を振り切るように早足で駅に向かった。